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2016年3月

2016年3月22日 (火)

アメリカから経済学者を?

安倍さんらが続けざまにアメリカのノーベル賞級の経済学者を招いている。
そして増税延期を言わせている。
増税延期の強い根拠が必要なのだなあ。
自信がないんだなあ。

日本の経済学者や経済学者じゃなくったって、私を呼んでくれたら
同じこと言うのに!きっと安上がりだよ!
法人税や富裕税についても口を出す!

こんなニュース映像もイメージ戦略だなあと思いながら
森嶋 通夫(もりしま みちお)を思い出した(数理マルクス経済学)。
会ったことありません。あ、大学に講演にくると聞いて「行こう」と
言ってたのになんかの都合で行けなかったことを思い出した。

森嶋先生が生きていたらなんというか。

日本の経済学者でもっともノーベル賞に近いと言われていた人です。
岩波ジュニア新書が好きで、この人が著した『学校・学歴・人生―私の教育提言』を
読んだことを憶えている。

読んで損はないと思うので、おすすめだよ、と何人かにすすめました、昔ね。

2016年3月20日 (日)

学歴・経歴詐称に思う・・・

ショーンさんの学歴・経歴詐称でネット上がにぎわっている。

ショーンさんがしたことは、よくないこと。
今まで、苦しかっただろうなあ。
力がヘナヘナ?どっと抜けた感じだろうか。
恥ずかしいよねえ。つらいでしょうね。

これを笑っている人が多くてなんだか心が冷え冷えとしてくる。
人は自分自身のウソを隠すために笑うのだろうか。

安倍さん、麻生さんの留学を笑う人まで出てきた。
この人たちの政治はいくらでも批判していいと思うが
これはちょっとだけ違うぞ、と思う。

留学の定義は、どこかに在留して、学ぶこと。それだけ。
一週間でも10年でもご本人が書かれている大学のキャンパスで
何かの講義に登録すれば単位が取れなくても留学だ。

もちろん、卒業とか修了とかの表現を使ったら完全にアウト。
学位を取っていないのに学位を取ったと書いたらやっぱりアウト、完全に詐称。
在籍学部、在籍学科を偽るのは論外だが、専攻については柔軟だと受けとめている。
私は博士前期・後期とも、ある大学院の社会科学系出身者のコースを修了したが、
専門は在籍者みな、様々で、修了者は○○研究をやってきましたって申告している。
それだけオリジナリティが求められていたと同時にそれがなければ論文に
なり得ない。

厳密にいえば、私の場合、教育人類学、教育社会学、社会学となり、
その中の社会集団研究に分類される(文科省の細目キーワードはさらに分かれる)。
そういえば、ある新聞には所属学院からだろう、「教育学」とされていたっけ。
もちろん、詐称ではない。

ところで、日本でも、アメリカでも、不当に単位や学位が認められてしまう人もいる。
例えば、例えばですよ、「女性」であることを利用して、中身がアレなのに
学位が与えられるようなケース。
実際にアメリカの競争力のある大学では、わざわざ、公式に、教員と学生の恋愛や
性的関係を公式に禁じた(検索してみてください)。

つまり、成績・評価に関して利害関係のある間柄で恋愛も性的関係も
ないだろうってこと。万一そういう関係になったら教員は担当を外れるってこと。

それで学位やポジションを獲得してしまう・・・これ、詐称でもなんでもないのが怖い。
詐称より怖い。

色んな大学で教員が「おぼえ」のめでたい学生や院生に何かを与えること、
これ、本当に恥ずかしいことだと思います。色んなところで不当さを訴える声が
あがったり、あがらなかったり。声をあげたら自分の将来がなくなることを恐れる
人たちも。資格要件を満たしていない人、研究の実態がない人も
平気なのかなあ。一度そんなことを経験したら、それで世の中を渡っていくことになる。

さて、
ショーンさんに関してはメディアがいかに無責任かがわかった。
就職のときって普通に卒業及び修了証明書と
在学証明書と在職証明書に厳しいもの。
ショーンさん、いつばれるかと怖かっただろう。
私は淡々と受けとめている。

同様の肩書があってもキャスターやコメンテーターできない人もいる。
何かのお力はあるのだろう。お力の使い方を間違えたのだろう。
時間がたったら少しは気持ちが楽になるかな。
これからはあなたの肩書以外のところを見てくれる人に会えるし、
これからもあなたを支えてくれる人がいたら、そのご縁はほんものかもしれない。

世間に「ウソついていました」って言える機会があってよかった。
そんな機会に恵まれるウソつきさんもそういないのかもしれません。

2016年3月19日 (土)

福田和子さんのドラマと最近の選挙の話題と

録画しておいた福田和子さんのドラマを観た。

私はこの人とどこが違うのか、と思いながら。

もちろん、私がクラブやバーに勤めたとしても
こんなにたくさんの男性から関心をもたれたりしないだろう。
私のほうからも心が開けないので人生そのものがこんなに続かないと思う。
そもそも採用されないか。

逃げて、逃げて、名前と顔を変えて、逃げて。

息子さんと会えたとき、うれしかっただろうなあ。

最後の最後に、十代の頃に強姦されたということが出てきた。
それも刑務所の中で。買収された刑務官が男性受刑者を
福田和子さんらがいらっしゃる部屋へ。
こんなことをされて普通に人生をおくることができるわけが
ないじゃないか。そうだったのか。

もちろん殺された女性の方はお気の毒だ。あってはならないこと。

しかし、とても長く悲しい逃避行を続けられた福田和子さんも
本当にたまたま人生のねじが一本外れたことをきっかけに
窃盗、そして転がり続ける中で、目の前に降ってきた幸せを
信じることができなかったのではないか。
お子さんたちが抱えるものも大きいだろう。

最近、選挙の話がよく出る、いつもはそんなこと話さないような人からも。

周辺の関係者らもよく表に出ない情報をおもちだこと。
知らなければよかった、聞かなければよかった情報にがっかり。

応援している人は何をどこを見ているんだろう。
それはそれで幸せなのだろうか。応援している人同士が集ることが
楽しいのだろうか。

そのような一人が口にしていた。「味方同士が集まって安心する」とか。
ただそれだけで味方とか敵とかが決まるなんて。
たぶん本当の味方は別のところにいると思いますよ。
つるむだけの人の中には敵もいるはず。

自己アピールに長けていても、守れもしない公約を並べる候補者たち。
自分を隠して、過去を隠して、逃げ続けた福田和子さんがどこかにいるような気がする。

福田和子さんの行きつけの居酒屋さんがあったそうだ。
彼女を悪く言う人は一人もいなかったそうである。
ここは違うかな。

2016年3月17日 (木)

老眼鏡は1.0

なんだか吸い込まれるようにある眼鏡屋さんに入って
(こんなの初めて!)
とっても親切な販売員さんとの出会いがあって
気にいったフレームの型番をメモしてもらって3日検討、
そして眼鏡、買いました!

老眼鏡です。

度数を合わせるための検査をしてもらいました。
文庫本が用意してありました。
私の場合、近くのものを見るときには「1」の老眼鏡、
でも、なくても読めます。
ちょっと離れたものを見るときには不要だそうです。

普通の視力検査もしてもらったのですが、驚きました。
両目、1.2になっていたのです。

私の視力、2.0だったのが(小学生の時)
高校生になって、たぶん、ちょっと頭ぶつけて(これ本当なんです)
(横になって本や漫画を読んだからという説もあります)
そのときから、1.0と0.1くらいになったんですね。

その後もちょこちょこ変動し???しかし、両目の視力がそろうなんて!

 

実は高校卒業した頃から、近視と乱視の眼鏡をもっていたことは
もっていたのですが、私、子どもの頃からものすごく新陳代謝がいいんです。
こう書くと聴こえはいいけど、要は眼鏡をかけると眼鏡が曇るくらい!
だから結局使いませんでした。

太ってるからだろうって、違いますよ!太ってなくても
もう子どもの頃は常におでこに汗をかいていて。
だから温泉なんかいくと全身真っ赤のゆでダコ状態で
「大丈夫?」と聞かれるほど。

最近ようやく普通に近づいたのか、老眼鏡を使うくらいは
大丈夫だろうと思います。

眼鏡って日本じゃ高い!という思い込みがあったのですが
老眼鏡って特別なものでなければフレームの値段だけということ
学びました。

かけてみるとやっぱり見え方が違う!うれしい!

2016年3月15日 (火)

久々にうれし~い断酒会のニュース!

本当にうれしいことを聞きました。

小牧のSさんと福岡のY岡さんご夫妻が
五島の断酒会を訪ねるのだとか!

五島のみなさん、どんなにか喜ばれるでしょう。
緊張されるんじゃないかな(笑)。
どこで会われるんだろう。

うれし~い!

Sさんに、気持ちのいい宿とおいしいご飯処のリストを
お送りする約束をしました。

ご縁が生まれてみなさん仲良くしていただければ
もっとうれしいです。

いやあ、本当にうれしいっ!

2016年3月14日 (月)

13歳

先週、T大に行きました。
同級生が何人か働いています。
元同僚もいます。

今回は病院のなんとか探索なんとかかんとか(憶えられない)で
事務を執っている同級生と会いました。

何回も行ってるのに私としたことが滞在先の新宿で
駅を間違ってしまって、とちゅうでも都庁前で降りて・・・うう、
どう間違ったかも思い出せません。

ま、会えたからいいのですが。携帯電話、あ、スマホって便利です。

その友だちから衝撃的なことを聞きました。
携帯に電話がかかってくるのって実家かMちゃん(私)くらい。

今はラインだそうです・・・LINE。

で、会って話すうちに、しみじみ、笑う、しみじみ、笑う、しみじみ、の繰り返し。
死についても語り合いました。
まあ、色々ありました。大切な時間でした。
やっぱり会って話すって大事。

彼女に学内便を託しました。他の同級生と元同僚へのかわいい動物クッキー。
そうしたら、同級生からメールが。
おじょうさんが中学生になったとか。
え~っ。まだ小学校低学年くらいだと思ってた。
子どもさんがいる人は時が過ぎるのがはやいだろうなあ。
目の前でどんどん成長していくんだから。

もうひとつ、え~っがあって。
同級生ががんで他界していました。連絡とっていなかったこと後悔!
実は、もしかしたら、初めて、私のことちょっといじめた、というか試した、
友だちだったかもしれません。中1のとき「友だちになって」と言われて
そんなのが初めてだった私はなんだか気持ちが重たくなって。
13歳って差があります。二人とも、もう160cmで大きかったのですが、
心が・・・彼女は大人で、私は子どもでした。

結局、慣れてきて(笑)、やっぱりみんな13歳で、なんか楽しく過ごしていました。
私が骨折で入院した時は毎日のように他の子たちと病院に寄ってくれて。
その子が小学校時代からの親友と紹介してくれたのが
メールをくれた子(子ってもうおとなですけどね)。
すてきでかっこいい東京の大学生でした。
わあ、彼女が私を呼ぶ声が聴こえてくるみたい!声って記憶に残るんですよね。

でも、死ぬ?がんで?今?

教えてくれたその子にお母様の連絡先を聞きました。
夏につばの広いお帽子で女優さんみたいだったお母様。
お花でも、と思って。そしたら、お母様も他界って。お父様もですって。
もう何がなんだか。その子にも子どもがいなくて、それだけじゃないのですが、
何か色々たくさん話したかったなあ、と、今頃になって思います。

(たくさん削除)

やっぱり、生きたいように生きたい!
そして、会いたい人には会いたいし、話したい人とは話したい。

なんかいつのまにか不自由になってたなあ、私。
ところが人から「そんなに自由なのに!」って。
心の自由は本人にしかわからないんだよ!

今度T大に行くときは、今回会わなかった同級生に会おうと思いました。

2016年3月12日 (土)

虹の会 健常者って誰?

岡山。
4回目の虹の会。

虹の会とは「身障酒害者」と自らを呼ぶ人の会。
ここに来るたびに私は「健常者って誰だろう」と思う。

例えば精神が100パーセント健康っていう人が
いるだろうか。

痩せた?とか太った!とか、何回言われたことか。
それ、セクハラ!って言ったら、ここにはそんな概念ないよ、だって。
うーん、まあ、身体のこと、精神のこと、みんなでありのままにって。

障がいーこの表現についても、まあ、書くまでもないか。
香川のFさんと滋賀のNさんがいらしててびっくり!

ここに来て会えてうれしい人たちはいるのだけれど、
うれしくないことが一つ。

喫煙者が多くて入り口の喫煙スペースじゃなくても
なんだか頭がぼんやりしてくるのだ。
3時間が限界。

宿に戻ったら着ていたセーターもジーパンもタバコのにおい(泣)。
こうなることを見込んですぐお洗濯できるものを身につけて行ったから
よかったものの、やっぱり頭がクラクラ。

年に一度でよかった(わあ、ごめんなさいっ!)。
でも、ちょっと考えてほしい。

仙台のIさんと小牧のSさんがご入院中だとか。
おだいじに。
来年は会えますように。

2016年3月 8日 (火)

中3自殺の背景に誤った非行歴

誤った非行歴で推薦出さず=中3自殺の背景か

広島県府中町立中学3年の男子生徒(15)が昨年12月に自宅で自殺していた問題で、町教育委員会は8日夜に記者会見し、「この生徒が万引きをしたという誤った記録を基に、志望校への推薦は出せないと伝えていたことが背景にあるとみられる」と説明した。http://www.jiji.com/jc/zc?k=201603/2016030800929

これはひどい。

自殺したこの男子生徒は万引きをしていなかった。
この年頃の生徒については万引きをする/しないというのは
大変な違いがある、特にご本人にとっては。

なぜ、こんなことがこんなに軽く扱われてしまったのだろう。

普通に育ったほとんどの人はモノを盗まない(と思う)。
わざわざ、モノを、としたのは、私は、アイデアや論文を盗む人たちを
いくらでも知っているからだ。
広い意味では「よい評判」を盗み取る人たちだっているのだ、
およそ学術とはいえないものや、知や徳とかけ離れたものを使って。
権威に媚びる人たちや、媚びに手をかす人たち。
他の人々の成果を搾取している人たちだ。
この陰で不利益を被る人たちがいるのだから。

自慢でもなんでもないが私はたまたま万引きをしたことがない。
幸いなことに万引きをしようとする雰囲気が周りにまったくなかったし
誘われたこともなかった。
たぶん、誘われても、できなかっただろう。
そのへんは徹底して「善悪」を教え込まれていたような気がする。
(この「善悪」が唯一の正しい善悪ではないことを書いておく、念のため)
そこに「盗まない」ということがあっただけ。
ただそれだけの話。
運がよかっただけの話。

しかし、
「してもいないこと」を「した」とされる、
それが記録に残る。
まさに冤罪ではないか。

「盗む」という行為は、自身のプライドをも傷つける。
それを「した」と記録されること。

彼にとってそれが抱えきれないほどの理不尽さであったことは
想像できる。それが周囲と共有されていただろうか。
私だったら、やはり、たまらない。自死を考えるかもしれない。

彼の自殺までに、人が一人、自身でその命を絶つまでに誰が何をしたのか。

学校は小さな社会である。
大きな社会と同様、リーダーによる不当な扱い、その放置は、
人の命をも奪う。

社会から植えつけられた「盗み」の歴史。

私がもう一つ別の視点から考えたことは、誤解を恐れずにいえば、
一度万引きをした中学生は受け入れないという高校のあり方だ。
(決して、今回の事故の学校側対応を擁護するものではない)

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