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2016年1月

2016年1月26日 (火)

「善人さん」から

21日のこと。
ホノルルからソルトレイクシティーへのフライト。
午後10時発のフライト、ラウンジで待とうと思ったら、国内線のラウンジないって!
知らなかったー!そういえばホノルルから国内線、乗ったことなかった。

夕ご飯食べて、珍しく(これ、ホントです)アイスクリーム食べようかなあと
Coldstoneの前で考えていたら、お母さんと女の子。
アイスクリーム、アイスクリームってもう大変。
お先にどうぞ、って言って、引き続き考えていたら、
なんと、なんと、
女の子が私のことを、She is so cute! って、なんていい子なの!
ホントですよ!だって、cuteって言ってくれてありがとう!って言ったから。
いえ、日本語の「かわいい!」とはちょっと違うので安心してください。

で、お母さんとごにょごにょ。

なんと、お母さんが、
アイスクリーム、ご馳走しますって!
あちこちで知らない人にまでお世話になっている私ではあるけれど、
これは、いくらなんでも。

ところが、クーポンを持ってるからって、聞き入れてくれないー
あの、Coldstoneのアイスクリームって安くないのです。
二つのフレーバーを選んで10ドルほど。1,100円以上。

あきらめて、ご馳走していただくことになったけど、
ポストカードくらい、送らせて、とお願いして
住所なんかを教えてもらうことにした。

ただのアイスクリームなのにと、親子して笑いっぱなし。

そしたら、なんと、お名前が、Goodさん。
日本語にしたら、善人さんってこと?

驚いて、だからこんなことしてくれるの?って聞いたら、また笑って。
そんなにおかしいの?

結局、pineapple coconut sherbetとsweet creamをいただきました。

カナダはブリティッシュコロンビアから来られたそうだけど、
かわいそうに5時間くらいの遅れが出たらしい。

ソルトレイクシティーに着いて、オンタリオまでのフライトのゲートへ。
無事、乗り換えゲートに着いたのねって、貴方どなたですか?
ホノルルのゲートで私が色々質問していたのを聞いていたんだって。

オンタリオまで長かった。
オンタリオでは19歳のときから知ってるキャロルが待ってくれていて。
アイスクリームの話などをしたら、別にめずらしくないですって。
お礼は書くのよって、書きますよ。早速、お母さん風。
家に着いたら、アリゾナのお姉さんに電話。

mは、日本の大雪にもアメリカの大雪にも影響されずに到着よ!
なんでも自慢。でも、確かに私、飛行機運とか船運だけはいい。

『一握の砂』は入院中に

日記がわりに、メモがわりに、いろいろ書いていたのですが、
4日ぶりにネットが使えるようになったらちょっといろいろうまくいきません。
後でまとめて公開にきりかえられる、かな。

それでもネット上の記事やブログが読めます。4日おいただけで新鮮。

ネットから離れた分、生きている人と触れ合い、長い夜を過ごしました。

19歳のときにお世話になったアメリカの知人宅にいたのです。
彼女、PCに疲れて数年前にインターネットに別れを告げたそうです。

ご主人(いやな言葉ですが、便宜上)との離婚、教員としての経験、退職後の生活。
お便りや電話でのやりとりはあったけれど、目の前にすべてがよみがえりました。
ご主人も大好きだったんだけどな、お亡くなりになりました。

日曜日には初めて会ったときは11歳だった双子の男女がそれぞれの家族を連れて
会いに来てくれました。男の子は再婚相手を連れて、女の子は子供を連れて。
この双子、おとなしくて恥ずかしがり、いつも静かににこにこだったのですが、
昔どおりの気遣いとやさしさ、今、手にしている幸せが本当にうれしそうで
私にとってもそれが大きな喜びになりました。

私にしてはめずらしくハグにしっかり応じました。小さな頃を知ってるって特別です。
そして実はみんながそれぞれの悲しみを経てきたこともあって、ハグをしながら
涙と鼻水。女の子、今はもう女の子じゃありませんね、彼女も一緒に泣き出して。

それぞれが暮らす街に帰って行きました。

さて、まとまりのない話になっていますが、今いる地域には、ある、回復のための
施設がいくつかあり、そこを訪ねることが今回の旅の目的の一つです。
たまたま、知人がその近くに引っ越してきていたということなのです。

で、タイトルと全然関係ないことを書き綴ってしまいましたが、
知人との長く緩やかな夜、ある歌をもとに、「雪あかり」の話をした翌日に、
移動してきたホテルで、やっとインターネットにつながった、と思って、色々みていたら、
ちょっと知ってる人が、まさに、その歌のことにふれていたので、
ものすごくびっくりしたという話。
ただの偶然といえばそれまでだけど。こんな偶然、普通は黙っているのでしょうか。
私は、聞いて、聞いて!と思ってしまう。
まあもうよくわからないので書こう。

啄木の『一握の砂』ー
13歳のとき右脚骨折で入院中、母が買ってきてくれた一冊でした。

そのときは、まさか、その後、北海道に来て初めての冬に思い出すことになる歌だとか、
あまり考えずに退屈しのぎに読んだものですが、面白いものです。

昔会った11歳の双子が、後年、別の感動を与えてくれるなんて思わなかったような
感じでしょうか。
言葉や人との出会いの意味が後から追いかけてきてくれるような。
まあ、偶然なのでしょうけど。

そういえば、この双子に初めて会ったとき、お母さん(知人)に、
「子どもさんたち、お母さん似ですね」なんて言ってしまったところ、
「そう?養子なんだけど」といわれて、あわあわしたものです。
今は、お母さんはアイルランド系、双子はスカンジナビア系とはっきりわかるけど
こんなふうに、色々考えさせられることがたくさん始まった出会いの一つです。

昔はプールがある大きいおうちだったけど、今、ちょっと小さなおうちなので
(でも、ゲストルームはある)お互い窮屈になるかなと思って4日めからはホテルを
予約していたのですが、なんか、昔みたいにお弁当を持たせてくれました。

ザクロと桃とバナナナッツブレッド。写真撮ったけど今アップできない。
明日の朝、迎えに来るとか。なんか悪かったかなー。でも一人もうれしいし。

2016年1月22日 (金)

12年ぶりに

成田を出発して、えーっと5日目、
某国、某地の自助グループのおせわをされているCさんらと再会。
日本語での集まりを長年守っていらっしゃるーいつまでも続けてほしい。
こんなお話を伺いました、とは、もちろんいえないし、書けない、書かない。

しかし、これからも積極的に発言していきたい、こう思って、
そのようにお伝えしてきたことがある。

日本の教育・研究関係者のみなさん、論文書く大学院生はじめ学生さんたち、
それから、医療関係のみなさん、
最近も書いたけど、いわゆるソーシャルワーカーさんたち、
全員じゃないとは前置きしたいんだけど、
「私は『いいこと、特に弱い人のためになることをしている』っていうアピール」
「私はあなたのみかたよっていうアピール」
やめませんか。

それを理由に他人の痛みを聞き出して、自分の業績にできる、
自分の専門としてアピールできるって大間違い。

結局は自分のためでしょう。

日本からのそんな依頼に心を痛めていらっしゃる方も多い。

日本国内でもそんなケースはやまとあり、そう思っていたところに、ここまで・・・。
しかも、出てくる地域名や大学名が東京と私がいるところ。
他地域の福祉関係の方とお目にかかって違いを感じていただけに愕然としている。
地域や組織にこんな姿勢が広がってしまったのか。

なんだかなあ。

待ち合わせの場所が、ある教会。
いつものことですが、歩きましたとも。バスも使います。
お釣りくれないので準備に必死。

ちょっと早めについたところ、バイブルクラス中。

時間まで3人のちっちゃいこと、はいはいができるようになったばかりの赤ちゃんと。
赤ちゃん、走り回る動物のような子たちの中で大丈夫?とドギマギ。
ああ、シャツの袖と胸がよだれでじっとり(^_^)。

5歳くらいのやんちゃ坊主、
左手の指4本、3分くらいくわえられてたんだけど、かみついていたのか?
はなそうとしてもはなれない、きみ、すっぽん?
なめてもいたよね。
お祈りの時間だったので静かになされるがまま。
ねらってたな。なんで美味しいってわかったの?

2016年1月15日 (金)

ソーシャルワーカーさんや・・・

一定規模以上のまちの保健師さんやソーシャルワーカーさん
誠実に仕事をしていらっしゃる人のほうが多いのかもしれないが
気になる話を聞くことがけっこうある。これが本当にけっこうある。

特にソーシャルワーカーさん。

福祉・医療の場で、この職業を名のるに人に悩みを打ちあける人たちって
ワラにもすがる思い。

もし、そのような他者の悩みを用いて、大学、大学院等に進学することを
考えている人がいたとしたら、
あるいは、すでに、働きながら大学、大学院に在籍されているとしたら、
専門家として独立したり活動をしたいと思っていたら、
どうか「事例」として研究発表している一つ一つについて
当事者の方のお許しを得たかどうか思い起こしてほしい。
それは貴方が得て、自由に使える情報ではないことを思い起こしてほしい。
こんな情報ばれっこない、そう思っても、ネット社会ではどうなる?
「あ、これ、私のこと」と思うクライアントだっていないとは限らない。

「これは自分のメリットになる」そう思っているんじゃないか、と
クライアントに疑念を抱かせるようなことにもなっている場合がある。
もちろん疑念がなくてもやはり結果として不信感を抱かせるようなことに
なっては恐ろしい。

指導教員は何も言わなかった―これは言いわけにならない。

そのような事例は貴方が自動的に得た知識ではない。
この人だったら情報を大切に扱ってくれる、いや、そんなことを考えもしない
悩める善意の人たちが貴方個人にではなく、肩書についてくる責任を信頼して
打ちあけていることだということを毎回自覚してほしい。

競争力のある大学がない田舎町に行って
あたりまえのお仕事を地道にこなしている人々に会う。
田舎がよい、ある程度以上の「まち」が悪い、というわけではない。

しかし、善悪、損得のような違いを感じることがないわけではない。

他人様のマイナスの部分を知ることが仕事になるような場合、
私にも多々ある。こんな話、自身にも問いかけ続けないと。

それにしてもぞんざいに扱われるケースが多いのは残念。
本来、不信感を抱かれるようなお仕事ではないのに。
多くの人から「この人が助けてくれる」と思われるお仕事なのに。

まあ、こんなお仕事たくさんあるなあ、考えてみると。
医師、弁護士、臨床心理士、教員・・・。
そもそも、そのような中で「いい」を頭につけて人探しをしなければならないのは残念、
「いいお医者さん」「いい弁護士さん」のように。
まあ、「いい人探し」って至難のわざなのかもしれないなあ(悲しい!)。
(俗物の私が言うのもなんですが・・・)

でもね、ソーシャルワーカーさんって、医師や弁護士のハードルが高いと
思い込んでいる人たちにとっても、
まず最初に信じてお話ししたい職業にもなり得るのです。
そこから生活保護やあるべき支援につながることもある。

不信感を抱かれるより、初めて会った人から信じてもらえるってことが
お仕事なのでは。
その後、長期に渡る信頼を得ることができたら、それ、宝物なのに。

2016年1月14日 (木)

総員玉砕せよ!―スーちゃんとか「女郎の唄」とか

『総員玉砕せよ!』
水木しげるさんの。

お亡くなりになってから、もう一度読もうと思って
図書館に予約・・・順位がすごい・・・でも一昨日まわってきた。
昨日借りて、やはり早く返さなくちゃねと、翌日返却。

本って読むの2回目でも「あっ」と思うことありませんか。

まず、表紙をめくった次のページに「スーちゃん」の歌。
これ、読ませていただいたブログ記事で知ったせつない歌。
You Tubeにもたくさん出ています。
こんなに知られている歌だったのね。

兵隊さんたちが繰り返す歌のコマがあって、

私はなんでこのような

つらいつとめをせにゃならぬ

これもぜひない親のため

そうだよね。だれも喜んでこんなつとめはしない。
どうすることもできなかったのが悔しい。

そう思って読みすすんでいたところ、「あっ!」

これ、「女郎の唄」と呼ばれる歌だったのです。
慰安婦の人たちがいるところはこの書でも「ピー屋」と
呼ばれています。

兵隊さんたち、兵隊としてのつらさを歌にするよりも
慰安婦のみなさんの口を借りる形でつらさを
繰り返し歌ったのではないでしょうか。

戦争法、安保法が可決されてから、なんだか世の中の反戦ムードが
少しだけ下火になっているような気がする。
どうせ可決したんだからもう終わりと思ってるのかな。
一般の人には関係ないと思ってるのかな。
選挙の争点だってズレたり、ぼやけたり。

それでもやはり絶対ダメ。
戦争に少しでもつながる可能性のあるものはすべてダメ。
改憲ダメ。いい憲法があるんだからもういいでしょう?
それより悪いものをどうにかしなくちゃ、でしょう?

わかりやすい言葉での発信を続けてほしい、続けたい。
簡単な言葉であっても反戦の思いをくみ取ってほしい。

3万円のバラマキはわかりやすい、それと同じようにわかりやすく
「戦争またしたいですか?」と。

同書で水木しげるさんがあとがきに書いている。

靴下と兵隊は消耗品だった、と。
水木さんの仲間たちは靴下以下の扱いを受けて死んでいく。
隣の人が消耗品扱いされるのを許せば次はあなたの大切な人が消耗品になる。

2016年1月11日 (月)

成人式、行かなかった

今日、成人式だったんだ!
1月15日だと思ってた。

どんな成人式だったかと聞かれることがある。

「成人式、行かなかったんです」と応えると

「えっ?!」

と驚かれて、こちらが「えっ?!」と言いたくなる。
(そんなに驚かれることでしょうか、と)

「普通」は親が娘の振袖姿を楽しみにする一生に一度の日でしょう?

「すみません・・・」

たまたま、なんだけど、本当にたまたま。

しかし、
私はもともと○○式ってどうも・・・。
船の進水式っていいな、と思ったことはある。

こんな人間を可愛気のない人間というのだそうだ(ひ・ひどい)。

振袖姿ねえ・・・。
実は私、たぶん、この成人式の年を除くと毎年お正月は和服だったと思う。
なんというひねくれもの?
それより何より、3歳の頃から週に3回和服だった。9歳まで。
笑われそうであまり書きたくないのだけど、柄にもなく日本舞踊をやっていたのだ。

なんだかこれ、母が私をおもちゃっぽく扱っていた感じ。
まあ、お稽古場がお隣で、お隣のお手伝いさんが大好きだったので
通っていたという感じ。

「なんでやめたの」と聞かれるけれど、こんなの年に2回発表会というのが
ありまして、最初なんか「かつら合わせ」までしたのに、なんと当日になって
出場拒否をしたのだ。それで先生もだんだん冷たくなって(笑)。
ややぞんざいに扱われているのに気付いたのだ(すごく時間がかかった!)。

でも、どうせ発表会に出てこない、こんな子は教え甲斐もないですよね。
ご近所で会うたびつらかった。もちろんいつもご挨拶はしていましたよ。
もう中学生?もう高校生?なんて話しかけられていたし。

こんな私ではあるが、式の中でも、お葬式、行かなくても
弔意だけは必ず表わすようにしている、形だけではなくて、心から。
お亡くなりになった人のため、というよりも、大切な人を亡くされた人のため。
本当ですよ!

でも、私自身のお葬式は・・・これも要らないのです。もう死んでるし。

2016年1月10日 (日)

ウソが大嫌いな理由と理想の人

私の理想の人は、「坊ちゃん」です。

あの、夏目漱石の『坊ちゃん』の主人公の「坊ちゃん」ですよ。

お正月のドラマでは嵐の二宮さんが坊ちゃんを演じていました。
まあまあ合格なのかなあ(と、えらそうに)。

私はこんなことで二宮さんのファンになるようなことはなく
あくまでも「坊ちゃん」が好きなのです。

坊ちゃんは実の家族とうまくいかず、身の回りのお世話をするキヨさんの
思いやりが支え、のような人です。気性がまっすぐ、ウソが大嫌い、
喧嘩っ早くて損ばっかり。

この小説を読み終わったその時から、「坊ちゃん」のファンです。

キヨさんの良さを坊ちゃんは見抜いてよくわかっています、そこも好き。
「教育はないけど上等な女」-これが坊ちゃんのキヨ評。
そんなキヨさんを、坊ちゃんはとてもだいじにしたんですよ、
文通なんかもして。わあ、もう大好き!

ドラマは原作とはちょっと違っていましたが、それでも
「坊ちゃん」に会えたうれしさで元気になりました。

たぶん、「坊ちゃん」は私の永遠のアイドルです。

私もウソが大嫌いなんです(そんなの好きな人、いないと思いますけど)。
これは他の人にはないであろう、特別な理由があるんです。

生まれ育ったまち、お寺がたくさん、神社も・・・という地域だったのですが
その中の一つが中国寺。そこには、なんと、
ウソをついたら舌を引っこ抜く閻魔大王がいたんです(お人形ですけどね)。
そして高さも直径も(子どもの目で)3.5メートルくらいの地獄のお釜も。

「ウソついた人はこの釜でゆでられるんだよ」

こんなの小さい頃から何度も観たら、そりゃ、ウソ怖い!になりますよね。

でも、あのときは、ウソをつきました・・・。
大学の健康診断、なぜが女子学生が行きません。困った大学の担当者が
「女性の方は体重は自己申告でけっこうです」と掲示を出したんです(いいのか?!)。
私も周囲に負けて(うわ、人のせい)、自己申告してしまいました。
どうせなら、と思って、モデルさんみたいな数字を考えたけど、気持ちだけ。
黒い歴史です。なんででしょうね?

他はないと思うんですけどね、眠れなくなりそうで。

とにかくウソ嫌い、まあ他人の、特に大人のウソには「そうですか」と
気付かぬふりをしないといけないときもあるのでしょうか(自信ないけど)、
でもね、やっぱり同じようにウソ嫌いっていう人だったら
いっしょにいて心が楽ちんですよって話です。

2016年1月 5日 (火)

続・「修繕好き」と人間関係

2014年4月に「修繕好き」というブログを書いていました。

http://12letters.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-c82e.html

この通りなのです。

同じようなことを書こうとしていました。記憶に自信のない私です。

私がこのこと-修繕好きってことが、そんなに「あたりまえ」じゃない、
と気付いたのは、以前も名前出しちゃったけど
東京っ子のあっこちゃんとたっちんっていう
初めてのアメリカ行きで仲良くなった友人たちとの会話から。
彼女たちの、

「今年のコート」
「今年のパンプス」
「今年のバッグ」

ファッション雑誌に書かれている通りに流行に従って行くのですよね。
なんだか悪口を書いている気分だけど(笑)、ちょっと違うからね。
本当に、「えっ、今年のって、去年のはどうなるの?」という「?」で
いっぱいになった私です。

初めての東京でも彼女たちにはお世話になったのだけど、
「今年のスキーウェア」にえ~っ?!
私、それこそスキーウェアなんて買い換えたことないぞ。
それにもう行かないと思う。歩くスキーは行くかも。

そもそも新しいものを買う時に「何年も着られるもの、使えるもの」を
選ぶんじゃないの?

修理や修繕することなく、消えていくのだそうです。

はた、と気付いたのだけど、なんだかそんなのって人間関係にも
あらわれているのではないかと。(私の友だちから離れて、ですよ)

もちろん、どうしようもなくなったら、なくなる人間関係もある。

しかし、絶えず「今年の友だち」「○○だけの友だち」こんな人たちと
さっとつるんで、メリットがなくなったら、さっと「さようなら」の人たちもいる。
生きているし、心がある人間なのに、その扱いってすごくない?
動物ってこんなことできないと思う、人間の得意技?

必要なら、関係の修復をしながら、近づいたり距離を置いたり、
困ったときは助け合う、ここは好き、あれはちょっと・・・
そんな人間関係があってもいいんじゃない?
いいことがあったら遠くからでも喜びたい「よかったね」と。
悲しいことがあったら近くから、声だけでもいいから寄り添う。
そもそも人間関係ってそんなものだと思っていたけれど・・・。

まあ、ネット社会にどっぷり漬かっていたら、そんなことも
珍しくなっていく今日この頃なのかも、靴下を繕うことよりもずっと。
ちょっとでもいたんだら捨てる、モノでも、人でも、
私はこれ嫌だ。(もちろん、暴力とかあったら離れて!)

まあ、私は私で。破れたら繕う、この習慣は捨てない。
無理してるんじゃなくて、やっぱり、好きなことだから。

2016年1月 3日 (日)

きっと笑顔の素敵なその人は

「きっと 笑顔のステキな そのひとは
あなたと一緒に 生きるひと」

って歌が聴こえてきました。

いい歌詞ですね。
ネット時代の顔の見えない(あるいはつくられた写真と)文字情報だけの
人間関係を風刺しているようにも聴こえます。(ひねくれてる?)

私はテレビって録画が多いのですが
たまたま再生が終わってこのCMソングが流れてきて知りました。

家族でも、お友だちでも、自分自身のことでも
うれしいときや気分のいいときはいいけれど
かなしいときや、調子がよくないときにどうすればいいか、
むずかしいものです。
うるさがられるのが恥ずかしい?
これ、拒絶?無視?
無視なんてしたことない人はわかりませんよね、
だから悩んでしまう。

そうやって何かを失うこともある、でも見えてくるものもある。
そんなものだと思います。

ネットの時代、
ネット上では○(マル)でもリアルでは積極的に人とつながることができない、
そんな話をよく聞きます。

私の場合は、ネット上のつながりって、あくまでもリアルのつながりを
補完するもの。どこかにリアルがなければとても無理。
映画のYou Got A Mail はロマンチックでしたが、
やはりリアルが隠れていました。

生身の人の表情やお声ってたしかにほっとします。
笑顔もうれしいし、そうでなくても、「大丈夫?」って声をかけたいし。
そしてそれがないとやはり不安になったりします。

<以下、J-Lyric.netの掲載の歌詞です>

愛になる

作詞・作曲 小田和正

嬉しい時も 悲しい時も
君に会いたい その笑顔に

笑顔はいつでも 言葉を超えて
すべてを包む 愛になる

愛はやさしく 愛は悲しく
想いを受け止めて どこまでも ずっと連れてゆく

大切な人を 見失わないで
決してその手を 離さないで

きっと 笑顔のステキな そのひとは
あなたと一緒に 生きるひと

2016年1月 2日 (土)

リクエストにお応えして

年末に、「お道具箱、おいくら?」をアップしました。
http://12letters.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-8d6d.html

よかったら読んでみてくださいね。

そこでふれた「お道具箱」じゃなくて、他のものについて問い合わせが!
ありがとうございました。

『お酒を手にした・・・』のgmail、チェックを休みがちなのですが
とってもうれしかったです!

ご感想はたまにいただくのですが、この細々ブログへの問い合わせって
初夢?と思ったくらい。(あ、読んだよ、も喜んでます、念のため、恥ずかしいけど)

「ニーバーの祈り」というのは、これです。
検索すればたくさん出てくるのですが、わかりやすいサイトから
ご紹介します(サイト情報は最下部です、ありがとうございました)。

-------------------------------

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)
------------------------------
私なら、もっとわかりやすいストレートな訳にするけどなあ。

「神さま、私に三つのものを与えてください。
変えられるものを変えていく勇気、
変えられないものを受け入れる寛容、
変えられるものと変えられないものを見分ける知恵
ーこの三つを」

とか・・・いかがでしょうか。まあ、たくさん出ていますね。

下の解説にあるように、第二次世界大戦の兵士とアルコール依存症の
当事者のみなさまに関連しているものなのですね。
ニーバーさんがそれを予想できたかどうかは?ですが。

もちろん、それ以外にの人々にも、特にニーバーは
「不戦」を掲げているフレンド派(クェーカー教徒)に
ファンが多い神学者です。

この祈りを知ったのは先の記事ふれたように素敵な先輩からの
贈りものとして、だったのですが、後年(以前、書いたような気もしますが)
私がお世話になったウッド先生がエール大学でニーバーのTAだったとか、
Birdwell Smith先生がやはりエール大学でニーバーの弟と友だちだったとか
色々驚いたものです。

以下、出典サイトからの情報です。

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.

Reinhold Niebuhr

解 説
アメリカの神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバー(1892-1971)がマサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で1943年の夏に説教したときの祈り。礼拝の後、ハワード・チャンドラー・ロビンズという人がこの祈りの原稿をもらった。彼は、祈りを集めた小冊子を編集発行していた。ロビンズは翌年、彼が編集した祈りの本の中に加えて出版した。その時は、ニーバーの名は付されてはいなかった。
第二次世界大戦の中、この祈りが書かれたカードが兵士たちに配られた。戦後になると、今度はアルコール依存症患者の断酒会のメンバーの目に留まり、その断酒会のモットーとして採用された。ニーバー自身がこの祈りを書物に著したのは1951年のことである。このころには、この祈りはすでに広く知れ渡っていた。そして、1961年、グリーティング・カードを出版しているホールマーク・カード社がこの祈りの版権をニーバーから取得している。

この祈りの作者は、18世紀の神学者フリードリッヒ・クリストーフ・エーティンガーだという説もあれば、14世紀の一兵士の祈りであったという説、古代アラビアから伝わってきた祈りだという説もあった。しかし現在では、これらの説は誤りで、正しくはニーバーの作であるとされている。
また、この祈りが最初に用いられたのは、当初は1934年とされていた。しかしそれは、ビンガムが著したニーバーの評伝の誤りであったことが判明している。

日本では、ニーバーの弟子の大木英夫の著書で紹介されてから、この祈りが広く知れわたったようである。1967年に大木が『中央公論』に発表した論文の中で紹介され、後に、

大木英夫、『終末論的考察』、中央公論社、1970年
に収録された。この23ページに、この詩と由来が紹介されている。上の英文はこの文献から引用した。その訳では、「勇気」に「カレイジ」、「冷静さ」に「セレニティ」、「知恵」に「ウイズダム」とルビが振られている。訳において順序が変えられているのは、そのときすでにそのような訳が慣習になっていたからだと、この本に記されている。

出典:すのはらの「春原主義」(2016年1月2日アクセス)http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm

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