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2015年12月15日 (火)

児童相談所という場所、引きずられる感覚

神奈川県のある児童相談所で「意見を書く用紙」が1枚なくなっていたことから
子どもたちを全裸にして検査をするという事件が起こりました(事件ですよ)。

とても不可解です。
そんな紙、枚数の管理までやってるの?
そんな紙があっても手書きで意見を書いて提出できると思ってるの?

そんな検査が、とてもいい雰囲気の児童相談所である日突然起こるなんて
思いますか?日常にこのようなことが許される雰囲気があったからこそ
職員のみなさんは幹部とやらの指示に従ったのでしょう。

職場が児童相談所であるという自覚はなかったのでしょうか。
本人に問題はなくても、このようなところに入ってくる子どもたちは
すでに自信を失っています。
そして、行き場がなかったから児童相談所なのです。
子どもたちには簡単に逃げる先がありません。

朱に交わればなんとやらで、すぐに職場の雰囲気や目の前の人の価値観に
適応し、なじんでしまう人もいます。
そのような人たちが「協調性がある」などと評価されます。この場合も
そうだったのでしょうか。そのような協調性なら不要です。

やはり誰かが「こんなことやめましょう」「子どもたちは一生忘れません」と
声をあげるべきではなかったか、と思います、児童相談所で働いていると言うなら。

私がその子どもたちの一人ならどうしていたでしょうか。
いえ、想像ができないのです。
「なんのため?なぜ、なぜ、どうして?」そんなことばかり言っていたから。
物怖じすることなくそんなことが口から出る、いわば、恵まれた環境に
いたのだと思います。家族、親族の見えない力にも守られていたのだと思います。
大人になって気付いたことです。

目の前で起こったことが全国で報道されたこと、関係の職員の人たちは
今、どう思っているでしょうか。「私たち、言われてやっただけなのに」?

学校や職場、仕事や生活や勉強を他の誰かと共にするということは
何らかの大小のコンセンサスを積み重ねるということでもあります。
絶えずその「あたりまえ」を疑うことの大切さを思い出しています。

目の前にいる人、横に座っている人の「感覚」、学ぶべきものもあるかも
しれませんが、それは他者の感覚でしかありません。

「自分の頭で考えること」-言えば簡単ですが、繰り返し身近で発信される
価値観や好悪を疑問ももたずに自身のものとしていくことは危険です。
そのような態度を他者に利用されることにもなりかねません。これも支配。

「そうかなあ?そうは思わないなあ」「それ、よくないよ」
こんな声の貴重さに思いをはせます。
学校でも、職場でも、どんなに小さなコミュニティでも。

疑問でいっぱいの頭を置き去りにして、身体では衣類を脱いだ
子どもたち、このときは、心に蓋をしていたのだと思います。

一晩中手をつないでいたい気分です。

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