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2014年9月16日 (火)

「これのどこが『教育』なのか」

今日は書かずにはおれません。

まずこれ見てください。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140916-00000003-jct-soci
巨大化する組体操ピラミッド、最大200キロの負荷
大学准教授「これのどこが『教育』なのか」と指摘

・・・私はこういう光景をみて喜ぶ教員、というか、「ヒト」の気持ちが
わかりません。「悪いけど」と言う気もありません。

この、まるで「レゴ」みたいに使われている中学生、いったい
何割くらいが喜んでいるのでしょうか。

練習量も相当なものでしょう。
運動会の練習や体育の授業、イヤになる子はいないのでしょうか。
私だったら、イヤですけどねえ、こんなの。
我が子がこんなのに参加するとなると異論を唱えたくなります。
いや、我が子じゃなくても誰かが異論を唱えなくてはならないのでは
ないかと思うのです。

集団で何かを完成するという美しさ
そういうものもあるのかもしれません。

しかし、これは集団が教員だけではなく、
集団そのものからコントロールされている
「同調圧力」の一例ではないでしょうか。
「私はやりたくない」
「私は今日気分が悪いのでできない」
このようなことを気軽にいえるのでしょうか。

「子供たちの一生懸命さにケチをつけるな」と
言われる向きもあるでしょう、
しかし、私は、大人数での縄跳びに参加する
運動が得意ではない子供や体力に自信のない子供の
気持ちのほうを想像してしまうのです。

あるときは、ある地方の高校で、1年間全員無欠席を
達成したクラスの記事がある地方紙で紹介されていましたが
「多少の無理をして出席したものもいる」ということに
心が寒々としたおぼえがあります。

私は未成年飲酒あるいは薬物の使用について
「静かな強要」という表現を用いていますが、
そういったものを感じるのです。

「これのどこが『教育』なのか」―こうおっしゃる名大の内田先生にも
『お酒を手にした未成年のあなたへ』を一冊お送りしました。
(読んでくださったかどうかはわからないけれど)

存じあげない方ではありますが、学校という場で起こる柔道事故の
統計などを示しつつ、教育のリスクについて発信していらっしゃる方です。
目をそむけてはいけない日本の教育の一側面です。

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