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2014年8月16日 (土)

他人様(ひとさま)の話を聴くことは自身の心の声を聴くこと

とてもまじめな話です。
いや、いつもまじめなんですけどね、今日は特に。

色々と他人様にご助言を求めることがあります。
多くの場合、一回で終了。
でも、また伺いたいと思うこともあります、めったにないけれど。
そんな人のこと、やはりどこかで、心から尊敬できる部分があるのでしょう。
「あ、この人のこと、好き」という気持ちも。
いつか終わりがくるのだと思いますが、そのときを想像するのは怖いです。
相手から「もう終わり」というメッセージを感じる場合もあるでしょうが、
私が怖いのは、私自身が「もうお話を伺いたくない」と思うときがくること。
他人様にがっかりするって本当に毎回それはそれは、
いやな、どんよりした気分が続くことになります。

まあ、多くの人間関係というのはこんなものなのかもしれません。
こんなことの繰り返しかもしれません。

そして、こんな私にも「話をしたい」と思ってくださる方もあるようです。
これは私個人の資質ゆえではなくて(それはわかっています)、
仕事柄。

相手が18歳とか19歳とかいった場合には、特に、とても慎重になります。
もちろん、本来は年齢とか関係なく相手に寄り添うことを第一に
考えたいものですが。
私自身が18歳とか19歳のときに、本当に何をどうしていいか、
どうしようもない気持ちのなかで毎日をやり過ごしていたからかもしれません。

今はどうかと考えてみると、本質はどうもそう変わっていないような気もします。
「これは言葉に出して言わないほうがいい」「これは言っちゃいけない」
ということはさすがに増えましたが、気を抜くと出てきます。

私に何かを話そうと思ってくださった学生さんの言葉のひとつひとつが
とてもせつなく、受けとめることしかできない、ということばかりです。

でも、まあ、しかし、「私でよかったら、いつでもどうぞ」ということ、
それだけは伝えられたらと思います。
できれば、その「いつ」を具体的に。

・・・タイトルにも書いたように、他人様から何かを問われるとき
自身の考えが引き出されることによって、
「私ってこういうことを考えていたのか」と思うことがあります。
これ、私だけでしょうか、なんだか恐竜みたい、恐竜に悪いけど、
鈍感なんでしょうね。いつも苦心しつつ引き出します。

今日は、頭のどっかの引き出しから、「無知の知」を引っ張り出しました。
高校のなんかの教科書で知ったソクラテスの言葉です。
私が言うことなんて、あまり受けとめてもらえないでしょうが、
ソクラテスさんの言葉だったら「ふーん」くらいは思ってもらえるかも。
私が昔思ったように。

そうそう、メールの場合、ニュアンスを伝えることがとてもむずかしくて、
忙しいとき、不在のときは、
「いついつは不在ですが、この日以降だったら大丈夫」という
言葉で終わることを心がけています。
小さなことですけどね。
私にできる数少ないことの一つです。

断酒会のひとたちって(残念ながらみんなじゃないけど)
「こうしなさい、ああしなさい」じゃなくて、
「私はこうだった」で終わるんです。
このスタイルも参考にしています。
最良なのかどうかはわかりませんが
私にとってもっとも心地よい助言のあり方だから。

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